恋愛依存症 人をどうやって愛せるか 〜かげがえのない「私」〜

スポンサードリンク




恋愛依存症 人をどうやって愛せるか 〜かげがえのない「私」〜

「恋愛」というものは、
その人によって人生における位置づけは
変わってきます。

 

男女差もあるし、世代によっても違うでしょう。

 

ただ、「依存症」まで行かなくても、自分勝手や
逆に自己犠牲な恋愛はよく見受けられるところです。

 

メディアなどがあまりにも表面的、短絡的な
「恋愛」のイメージを垂れ流しているのも
一つの原因と思われます。

 

恋愛について考える前に「自分」についての考察を
まずやってみることが必要ではないでしょうか。

 

 

1、「真剣な恋愛」

 

 

恋愛というものは、楽しいことばかりではありません。

 

真剣になればなるほど、多くの苦痛を伴います。

 

しかし、様々な苦難を乗り越えることにより
相手への理解、自身の人間的成長を
遂げることができます。

 

 

「恋愛経験の多さ」に価値を置く考え方をよく聞くのですが、
重要なのはもちろん、数ではなく「真剣さ」です。

 

 

当然ですが、単に恋愛を「現実逃避」としてのめりこむのも
良いとは言えません。

 

 

結局は、勉強や仕事や趣味・・・
人生においての全てのことと同様で、
「真面目に向き合わないものに意味はなく、
 得る物はない」のです。

 

(もちろんどんな形であれ経験した方がいいのですが、
 意味のないことを繰り返すのは
 無駄な人生の過ごし方ではないでしょうか)

 

 

 

2.「私」というたった一人の価値

 

 

 

例え名前や顔立ちが似ていても、
「自分と全く同じ人」はこの世に存在しません。

 

そして「自分は何のために生まれてきたか」というのは
誰もが1度は考えることと思いますが、
おおよその人間は何も使命を持って生まれてきません。

 

つまり、「生まれてきてから何をするか」を考えるのです。

 

「目的を持って生まれてこなかった」というのは、
 がっかりすることではなく、とても素晴らしいことです。

 

「自分で自分の人生を決定できる」わけですから。

 

「自分には何も取り柄がない、
 何の価値も持っていない」というのは
「価値がないと自分で決めてしまっている」ということです。

 

ならば「自分には価値がある」と設定変更してしまいましょう。

 

何度も言いますが、決めるのは自分です。
他人ではありません。

 

何も取り柄がないと思われても、
この世でたった一人の自分なのです。

 

まず自分を認め、愛することです。

 

 

3.他人と比べる意味

 

 

「隣りのあの人」はとても幸せそうに見えるかもしれません。

 

でも「幸せそうに見える人」でもほとんどの場合、
「自分と同じくらい、またそれ以上の苦しみ」を背負っています。

 

それでも「自分よりもましだ」なんて思ったりします。

 

では「苦しみ」というのはどうやって比較するのでしょうか?

 

測定器のようなものはありませんし、
たとえ測定できて
「自分の方が苦しい」となったとしても
人生は単純に「苦しみの量」できまるのでしょうか?

 

苦しみの受け入れ方、耐え方、楽しみへの変換など
その人によって違います。

 

つまり、自分と他人を比べるのはまったく無意味なのです。

 

 

 

4.まとめ

 

 

自分を愛し、認めることは何よりも重要で、
これができないと人生において大きな前進ができません。

 

自分が未熟ならば、恋愛においても、他人に誇ることや
自分勝手な満足感に浸ることが重要になってしまいます。

 

他人を愛するのは自分を愛することから始まることです。

 

 

 




スポンサードリンク