現在のインターネットの問題点その2 〜自分探し・ネットゲーム〜

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現在のインターネットの問題点その2 〜自分探し・ネットゲーム〜

現代のインターネットでの様々な問題のうち、
ここでは、若年世代が陥りやすい「自分探し」及び
「ネットゲーム」を挙げてみます。

 

これらの問題はネット依存と深い関連性があります。

 

 

 

1、「自分」というものは果たして見つかるのか

 

若者とはいつの時代も「悩める年代」です。

 

子供と大人の狭間にある彼らは、
おおよそ自分の人生についての不安・社会に対しての
不満を持ち続けます。

 

自分自身を把握しきれない部分もあり、
自分の問題なのか他の問題かも
わからず混沌としています。

 

「自分探し」は実に魅力的なキーワードです。

 

「本来あるべき自分」
「自分の進むべき確固たる人生」というものには
当然惹かれます。

 

インターネットには夢があり、
自分の「追い求めている答え」が見つかると
期待するかもしれません。

 

だが、まず見つかることはありません。

 

「自分」というものは、
「生きていくうちに形成される」ものではないでしょうか。

 

生まれつき「自分」が決まっている人はいないのです。

 

ネットをひたすら見ているのなら、
「1日中ネットをやっている」のが
少なくとも現在の「本当の自分」です。

 

ネットでも他人の生き方を参照できるでしょうが、
それが自分の人生の実になることはないでしょう。

 

 

 

2.匿名性・年齢問わずの弊害

 

現在のインターネットの自由度において、
どれだけ記名制・年齢制限を考えるかは
非常に難しい問題です。

 

日本の場合、リテラシーの低さもあいまって
無制限にネットを解放することに対して
いろいろ議論が起こっています。

 

例えば、ツイッターやフェイスブックなど
「誰もが自分のスペースを作り、
自分自身の意見等を発信できる」というシステムは、
「自分も自覚していない自分自身の問題」を
浮き彫りにすることがあります。

 

政治や社会に対して不満を表明しても、
それは「自分の努力不足が原因なのに他者責任に陥っている」
「自分の認識が幼く、あまりにも未熟な物事の見方を吐露している」
場合が多いのです。

 

また明らかに常識を逸脱している言動を発信する時もあり、
こちらも見る人が見れば、
本人が知性の無さを表明しているのと同じです。

 

 

 

 

3.ネットゲーム

 

ネットゲームの中毒性は、
割とネットが普及した当初から言われていました。

 

特にMMORPGと言われているゲームのジャンルは、
「永遠にエンディングに到達」しないことも多く、
はまってしまうと文字通り「底無し沼」になります。

 

ゲームの運営側も
(商売としてはユーザーに魅力を持たせるよう
努力するのは当然とも言えますが)、
ひたすらユーザーにプレイ時間を長くするように
煽ったりします。

 

また最近ではゲーム中でのプレイを有利にする、
などの要因で「課金」も大きな問題になっています。

 

これが月額数万円になるなど、
おおよそ趣味の範疇を逸脱することもあります。

 

特に「ガチャ」といわれるシステムは、
課金による抽選により出現率の低いアイテム等を狙う、
というものでパチンコにも通じるような
射幸性と言われることもあります。

 

ガチャは非常に低年齢層にも浸透しつつあり、
射幸性の問題はかなり早急に考えるべきでしょう。

 

 

 

4.まとめ

 

ネットの基本は「自己責任」です。

 

責任があるがゆえの自由だし、
また自由を謳歌するには
基本の常識、リテラシーというものが
存在しなければなりません。

 

インターネット依存症の多くは、
「ネットに支配されている」とも言えますが、
人間がネットを使うのです。

 

「自分が、自分の考えで、責任で、ネットを使う」という
状況に立ち返らねばなりません。




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